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ドイツ映画の魅力 その1

▲ベルリナーレという愛称で呼ばれるベルリン国際映画祭

今年の2月、ドイツのベルリンで開催された『第64回ベルリン国際映画祭』で、山田洋次監督の『小さいおうち』に出演した女優の黒木華さんが最優秀女優賞(銀熊賞)に選ばれ、話題になりました。日本人では左幸子さん(1964年)、田中絹代さん(75年)、寺島しのぶさん(2010年)に続き4人目。若手演技派の黒木さんの受賞は、日本の映画にとって、とてもいい刺激になると思います。

ドイツではベルリナーレ (Berlinale)と呼ばれる『ベルリン国際映画祭』は、『カンヌ国際映画祭』、『ヴェネチア国際映画祭』と並ぶ世界三大映画祭のひとつで、ベルリンで毎年2月に開催されます。
コンペティション部門、フォーラム部門、パノラマ部門、レトルスペクティブ部門、青少年映画部門、ドイツ映画部門の6部門があり、世界中から優れた作品が集まるコンペティション部門の最優秀作品には金熊賞が授与されるので有名ですね。熊はベルリン市の紋章なのです。

一般的に映画というと、アメリカのハリウッド、あるいは「ヌーベルバーグ」の一時代を築いたフランス映画……そんなイメージがありますが、実はドイツの映画の歴史は、世界の映画史の中でも、とても重要な意味をもっているのです。
今年の『ベルリン国際映画祭』、10日間の会期中に販売した一般入場券の販売数は33万枚を突破したそうで、世界最大の映画祭の名を不動のものにし、ドイツがこれからまた映画に新しい風を吹き込む期待が大きくなっています。
さあみなさん、ドイツ映画に要注目!ですよ。

ドイツ映画が最初に世界的に評価されたのは、第一次世界大戦後に花開いた『ドイツ表現主義映画』からだと言われています。第一次世界大戦中の1917年にドイツでは映画産業の国営化が始まり、国営会社「ウーファー」が設立されました。「ウーファー」は軍の統制下におかれ、国家宣伝映画の製作によって、ヨーロッパ最大規模にまで成長しました。そして、第一次世界大戦後には、ヨーロッパ中に膨らんでいた未来への期待や、ファンタジーへの逃避の風潮を受けて、反自然主義・反印象主義……分りやすく言えば非現実的なビジュアルの中に社会の不安や人間の心の闇を表現していく『表現主義映画』が盛んになり、ドイツ映画が大きく盛り上がる要因になったのです。

『ドイツ表現主義映画』の始まりはロべルト・ヴィーネの『カリガリ博士』(1920年)だと言われています。他にF.W.ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』、カール・ベーゼとパウル・ヴェゲナーの『巨人ゴーレム』などがあり、いずれも象徴的かつ暗喩的なビジュアル・イメージ、非現実的でファンタジックなストーリーが特徴で、暗くて怪奇趣味の強い映像の中に、当時の混沌とした社会の空気や人々の抱く不安と恐怖を描き出しています。そう、ホラー映画の発祥はドイツからだったのです。


▲カリガリ博士 販売元: アイ・ヴィ・シー


▲吸血鬼ノスフェラトゥ 販売元: IVC,Ltd.(VC)(D)


学術的には、前衛芸術だとかモダニズムだとか言われ、難解な映画のイメージがありますが、『ドイツ表現主義映画』の魅力は、そのわかりやすい面白さです。いずれもヨーロッパの恐怖伝説や人間の狂気を強烈なビジュアルで描いていて、メイクもセットも斬新で、ライティングや合成技術を駆使した特殊効果も魅力的!ホラー映画やファンタジー映画好きにファンが多い作品です。

『ドイツ表現主義映画』は1921年に「ウーファー」が民営化されて、ヴァイマル共和制下の経済不安定の煽りもあって衰退していきますが、その後のナチスの台頭によりドイツから大量の映画人がアメリカに移住したことで、ハリウッド映画に大きな影響を与えます。例えば、『シザーハンズ』『ナイトメア・ビフォー・クリスマス』でお馴染みのティム・バートン監督の不気味カワイイ独特の世界観は、『ドイツ表現主義映画』の影響を色濃く受けている代表と言えますね。

なお、第二次世界大戦のナチス政権下、多くの才能ある映画人の流出や政治的制約にもかかわらずドイツの映画技術や芸術性を推進したのが、女優であり、映画監督であり、後に写真家として活躍したレニ・リーフェンシュタールです。
1934年にニュルンベルクで開催された国家社会主義ドイツ労働党の全国大会を納めた記録映画『意志の勝利』や、1936年のベルリンオリンピックのドキュメンタリー『オリンピア』は、ナチを賞賛する作品として批判も少なくありませんが、その秀逸なカメラワークが次世代に大きな影響を与えました。

第二次世界大戦後のドイツ映画は、25年の歴史をもつウーファ社の解体に象徴されるように衰退と消滅の一途をたどり、東西ドイツに分割されて力を失っていきました。

そんな中、1962年2月28日、オーバーハウゼン短編映画祭に集まった若手映画監督達が「古い映画は死んだ。我々は新しい映画を信じる」と宣言。これは「オーバーハウゼン宣言」と呼ばれ、イタリアの『ネオレアリズモ』、フランスの『ヌーベル・バーグ』などに次いで、西ドイツで起こった新しい映画の動きとして『ニュー・ジャーマン・シネマ』の活動が始まったのです。


若手の監督達は、既存のスタジオやテレビ局と手を組まずに、ドキュメンタリーや短編制作で活躍し、その中から国よりもまず海外で評価された作品が、アレクサンダー・クルーゲの『昨日からの別れ』、ヴェルナー・ヘルツォークの『アギーレ 神の怒り』、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの『マリアブラウンの結婚』、ヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』、フォルカー・シュレンドルフの『ブリキの太鼓』などです。


▲ブリキの太鼓 販売元: カルチュア・パブリッシャーズ

特に『ブリキの太鼓』は、ドイツ文学における最も重要な作品と言われるギュンター・グラスの小説を映画化したもので、ドイツ映画として初めてアカデミー外国語映画賞を受賞しています。
自ら3歳で成長を止めた少年オスカルの視点で描かれた、グロテスクな大人の世界や、1927年から1945年のナチス政権下のポーランドの激動の時代を描いていて、ブリキの太鼓を叩きながらハイトーンの奇声を上げてガラスを割るオスカルの不思議な力と共に、毒気をたっぷり含んだ強烈なインパクトを与える作品です。


▲ブリキの太鼓 販売元: カルチュア・パブリッシャーズ

また、シュレンドルフと共にニュー・ジャーマン・シネマの旗手と言われたヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』も、ロード・ムービーの金字塔と言われ、カンヌ国際映画祭でパルム・ドール賞を受賞しています。
彼はその後、『ベルリン・天使の詩』で同じカンヌ国際映画祭の監督賞も受賞しており、低迷していたドイツ映画界は再び世界から評価されるようになりました


21世紀に入り、ドイツ映画は多くの新しい才能によって素晴らしい作品をどんどん発表しています。
次回は、その中のオススメの作品と、ドイツ映画を代表する俳優・女優についてお話ししましょう。


レポート・文 前川 みやこ(コラムニスト・ライフスタイルアドバイザー) 写真提供:OFFICE SHIBA Inc.

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