1. HOME
  2. コラム
  3. RUF本国ドイツの文化をお届けする連載コラム
  4. エネルギッシュなドイツの音楽シーン その1

エネルギッシュなドイツの音楽シーン その1

▲バイエルン州バイロイトで開催されるワーグナー音楽祭。

ドイツの音楽というと、最初に頭に浮かぶのは、音楽室に飾られていたクラシックの巨匠達の肖像ではありませんか? 

実際ドイツには、クラシック音楽が日常にあふれており、カラヤンが1989年に亡くなるまで終身指揮者を務め、現在はイギリスのスター指揮者サイモン・ラトルが率いるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を頂点に、約130のプロのオーケストラが存在しています。
公的資金で運営される歌劇場も80ほどあり、特にハンブルク、ベルリン、ドレスデン、ミュンヘン、フランクフルト・アム・マイン、シュトゥットガルト、ライプツィヒなどが有名ですね。
また、音楽大学も、ヨーロッパ最大級最古の名門・ケルン音楽大学の他、ベルリン芸術大学、ミュンヘン音楽大学、デトモルト音楽大学など、23の州立音楽大学があって、世界中から留学生が集まり、数多くの優秀な演奏家がそこから誕生しています。


▲ベルリン・フィルハーモニーで指揮をするカラヤンのCDジャケット。発売元:ワーナークラシック


▲バイロイト音楽祭のメイン会場となるバイロイト祝祭劇場。

各地で開催される音楽祭も盛んで、バイロイトのワーグナー音楽祭から、ゲッティンゲンのヘンデル音楽祭、ライプツィヒのバッハ音楽祭、現代音楽の催しドナウ=エッシンゲン音楽週間に至る様々な音楽祭が盛んに開催され、まさに音楽大国と言ってもいいでしょう。

ドイツの音楽は12世紀から始まる宮廷音楽が発祥ですが、中心にあったのはイタリア語やフランス語のもので、ドイツ語の歌詞による音楽が発展していったのは、17世紀から18世紀にかけての古典派バロック音楽の時代になってからです。


この時期に登場し、「バロックの父」と呼ばれている偉大な音楽家が、みなさんもご存じのバッハ(1685年〜1750年)です。マタイによる福音書のキリスト受難を中心に、賛美歌と叙情的な詩を基に作られた声楽曲『マタイ受難曲』や『ブランデンブルグ協奏曲』はあまりにも有名ですね。

バッハのあと、ドイツと同じ文化圏であるオーストリアのウイーンで生まれたのがハイドンとモーツアルトです。この二人はドイツ・フランス・イタリア音楽の素晴らしい部分を取り入れた、オーケストラ形式の音楽を確立したといわれています。そのモーツアルトに憧れ、ハイドンにピアノの腕を認められて、ピアノの即興演奏の名手としてドイツで活躍したのがベートーヴェンです。


▲左からバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン。

ベートーヴェン(1770年〜1827年)は、交響曲第3番『エロイカ』を作曲したのを皮切りに、ピアニスト兼作曲家から作曲家専業になり、その後10年に渡って、あまりにも有名な交響曲第5番『運命』などの傑作を生み出しました。ただ、20歳の頃から難聴に悩まされ、28歳で最高度難聴者となり、40歳で全聾となるという、音楽家として最悪の悲劇にみまわれ、苦悩や絶望と闘いながらの人生を送ります。

そんな中から生まれた後期の作品、交響曲第9番『歓びの歌』は、彼の作品の集大成であり、詩と音楽の融合を極めた傑作として、世界中で愛されています。ベートーヴェンは、それまでの宮廷や貴族といったパトロンのための音楽作りを拒否し、一般大衆に向けての音楽を作る作曲家であったこと、作曲家=芸術家と公言したことでも革命的な作曲家だといわれています。「楽聖」と呼ばれているのも納得できますね。

文学の世界で『ロマン派』が主流となった19世紀に入ると、ドイツ語による詩と音楽の結びつきがより探求されるようになったため、音楽界でもロマン派が台頭することになります。ロマン派は、古典派が音楽の普遍性を重視しているのに対し、個性を大切にし、自由な感情表現で文学や哲学との結びつきを目指しているのが特徴。シューベルト、シューマン、そしてブラームスといった音楽家達が、伝統的な音楽と自らの創造性の融合を目指した作曲活動を行っていきました。

中でもブラームス(1813年〜1887年)は、4つの交響曲を始め、『ハンガリー舞曲』や歌曲『ブラームスの子守歌』など数多くの名作を残し、バッハ、ベートーヴェンと並んでドイツ音楽に於ける『3大B』と呼ばれています。

オペラの世界でも、同じロマン派初期にウェーバー(1786年〜1826年)がモーツァルトの伝統を引き継いで、ドイツ民話を主題とした歌劇『魔弾の射手』でドイツロマン派のオペラ様式を完成させたと言われています。その後を引き継いだワーグナー(1813年〜1887年)は、それまでの歌劇から、文学、演劇、音楽の総合芸術としての楽劇という壮大な音楽の世界を創造しました。『タンホイザー』『ローエングリン』、「ワルキューレの騎行」などでよく知られている傑作『ニーベルンゲンの指輪』により、ドイツオペラを世界の最高レベルまで引き上げました。


▲左からシューベルト、シューマン、ブラームス、ウェーバー。

その後20世紀に入ると、オーストリアのシェーンベルクなどにより、無調音楽と呼ばれる現代音楽が盛んになります。無調音楽とは、一般に不協和音などと呼ばれるように、難解な音楽というイメージがありますが、これがその後の電子音楽などの考え方の基本になっており、第二次世界大戦後には、エレクトロニック音楽、そして一世を風靡したテクノが誕生します。

そんな現代音楽の新たなジャンルに於いても、世界で初めて電子音のみで作曲をしたのは、なんとカール・ハインツ・シュトックハウゼン(1928年〜2007年)、ドイツ人でした。


▲シュトックハウゼンとベルリン放送公共楽団のCDジャケット。発売元:ACANTA

シュトックハウゼンの電子音楽は、ドイツの若い世代に強い影響を与え、ドイツ独自の音楽であり、現代のテクノの元祖と言われる「クラウトロック」が誕生します。「クラウトロック」は「ジャーマンプログレ」とも呼ばれ、当時アメリカを中心に世界的に流行っていたサイケデリック・ロックとエレクトロニック音楽が融合したもので、「反復」や「即興」によるトランス的な雰囲気を重視した、かなりクセのある音楽でした。

この「クラウトロック」で70年代に世界的に活躍したのが「KRAFTWERK(クラフトワーク)」です。日本でも坂本龍一、細野晴臣、高橋幸広の『YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)』などが影響を受けたことで有名ですね。


このようにドイツは、クラシックという音楽の源流を大切に引き継ぎながら、ジャーマンテクノ、パンク、ジャーマンメタルという新しい世代の音楽に於いても、素晴らしいアーティストをたくさん生み出しています。

次回はそんな現代のドイツの音楽事情についてお話しましょう。


レポート・文 前川 みやこ(コラムニスト・ライフスタイルアドバイザー) 写真提供:OFFICE SHIBA Inc.

RUF(ルフ)に関する
お問い合わせ

お問い合わせフォーム